「ふぁんたじあ」のまち


平成5年(1993年)1月20日 OPINION掲載

二瓶 晃一 (執筆当時30歳)

 年末年始の忙しさが一段落したある日の夜、何気なく見ていたテレビドラマのなかに、突如「リカキャッスル」なるものが登場して驚いた。 小野町の名前が出なかったのがちと残念だっ たが、毎日見ているあの「お城」が登場すると 思わず「オー!」とテレビの前で叫んでしま い、番組が終了すると名古屋とか関西の友人 にまで「今、テレビ見てた?」などと電話をかけ完全にミーハー化してしまった私だった。

 

  だが、まわりの友人達と話をすると何故か このリカのお城は評判が芳しくない。それは まず、都市計画の整備もしないままの既成事実だけで巨大な建物が出現してしまった事と、地元の住民への情報量の少なさからきた地域不在の進め方という二つの問題からきている様だ。要するに私達の地域のコミュニティの 延長上にないという違和感があるためなのだ ろう。

 

  確かに行政とは何らかの話をしている様で、中通りの交差点から稲荷橋までの歩道をなお す計画や稲荷橋の欄干をリカちゃん人形のス タイルにするとか、果ては前の通りをリカちゃ ん通りと名付けるとかあるようだ。

 

 「25億 円かけたからと言ってなんで(地元がもりあ がっているわけでもないのに)そこまでする 必要があるんだ。もし俺が25億円かけて自 分の店をなおし、その前の通りに自分の名前か店の名前をつけたらみんな怒るだろう。そ れと同じだよ」友人の話はなるほどわかりやすくていい。  

 

 あの「お城」の建物が徐々に出来上がって いく頃、毎日見ながら『名前を何てしたらい いかなあ。リカちゃんファクトリーでは工場 と言うイメージが強すぎるからなあ…』など と毎日かってに自分の事のように考えていた のだが、ある日突然門ができ、そこを見たら 「リカ・キャッスル」などと英語で書いてあ る。『えーそれはないぜ! 名前は一般公募しないの~』と呟いてみたがあとの祭り。

 

 前述の名古屋の友人などから「リカちゃんフ ァクトリー」ができるなどというような新聞 の切りぬきなどを1年前から送ってもらった りしていたが、その頃地元のまわりの人に聞 いてもどんなものなのか皆知らない。大体形 がみえてきてきた頃、工場に聞いても東京の銀座の広報でないとわからないというな返事。 どこか変だなあ、とずっと感じていた。


 私はどういうわけか小野町観光協会の常任 理事などというたいそうな役についている。 なにせ、発展途上の会で私自身もたいそうな 活動をしているわけではないが、いつも小野 町のイメージをどういうふうに創りあげてい ったら良いか考えている。  

 

 たまたま、小野町商工会青年部に入部した 時、まわりの良き先輩達の後押しをするかた ちで小野篁と小野小町の伝説を軸に小野町に残るその歴史を掘り起こしていこうという「 復活・小町キャンペーン」の企画のお手伝い する事ができた。  

 

 行政では、町長を中心に「昭和羅漢」とい う構想が数年前からあって、現在では300体ものユニークな羅漢が東堂山に奉納されて いる。観光協会でもその観光資源的な要素を 考慮してPRなどにつとめている。  

 そして、今度の「リカちゃん」。私の友人 の別の一人は、「リカキャッスルがでーんと 出来たかと思うと駅には羅漢様。小野町って 変なまちだね」と笑った。友人の言葉をかり るまでもなく、ほんとにバラバラ。だから、 私はこれらをつなげるキーワードがないかと あれこれ思いをめぐらしていたのだ。  

 

 昨年の11月に福島から女子大生グループが宿泊 した事があった。先生を含めてサークルの仲 間8名くらいの小グループであったのだが、列 車で来た為に東堂山までの足がない彼女達を車で送って案内した。昭和羅漢を見せるとそれが結構うけていて、ユニークな羅漢と記念撮影などしていた。

 

 私も久しぶりに見た羅 漢が(最初の時期に奉納したものなどが)もう苔むしているのを見て大いに感動してしま った。ユニークな羅漢たちはまた、奉納した 人々のユニークさを映しだしている様で、ほの ぼのとしたあたたかさを私達の心に与えてく れる。  

 

 帰り道、車を運転しながら私の心の中にふ と浮かんだ言葉があった。「ファンタジア」 英語のファンタジーのもとになったイタリア 語(ラテン語?)である。幻想・空想とかの意味だが私には 「楽しさ」と言うイメージが心に響く言葉だ。その言葉中にマイク片手の羅漢や地球を抱いた羅漢のあたたかさと、小野篁と小町の母 ・めずらことの恋の物語や小町がふるさとを 想い呼んだ和歌のロマンを、そしてライト・ パープル色のリカのお城とおもちゃに囲まれ ながら遊ぶ子供たちの姿をイメージしてみた

 

  こうして、私は「ふあんたじあ」(柔らかいイメージを出す為にひらがなで書く)で小野町のイメージをくくれないかと考える様に なった。


 「いつか好きだと言って」と言う前述したド ラマの中に、「もっくん」こと本木雅弘さん演じる主人公の「流星」という青年と、彼と 恋争いをする鶴見慎吾さん演じるエリート社員が登場する。「流 星」は九州から高校中退で東京に出て来た若 者。義兄をたよって「キッズワールド」と言 うおもちゃの会社にアルバイトとして働く青 年である。

 

 それとは対照的に、エリート社員 の彼は営業部でバリバリに働く将来を嘱望さ れた青年で、社長秘書をつとめる社長の孫娘 の「みすず」(鈴木京香さんが演じる)という女性をめぐり「流星」と 対立する、というストーリーだ。  

 

 私はリカキャッスルが「まち」の盛り上がりとはなれたところで進行していくような過 程を見るにつけ、これを企画し宣伝している この企業の人達が知らず知らずのうちにこの ドラマに登場するエリート社員の様になって しまっているのではないかと想像してしまう。

 

 東京やその周辺の大都市、または全国ネットの新聞・テレビ・雑誌を使い大々的に宣伝する。たしかにターゲットという事を考えた ならそれはそれで必要な事だ。地元との関係 も行政の長とか地主その他のしかるべき人た ちと情報を交換すれば十分だとかんがえるの かもしれない。

 

 しかし、子供達と「子供の時の 夢を大切にしている大人達」に夢を与える企業、私はこの企業が自分の会社の製品のブランド名を高めたい為だけにこの事業を企画したとは思いたくないのだ。  

 

 現実に小野町に、それも市街地のど真ん中 に建っているリカキャッスル。周辺の地域と のバランスの問題や予想される交通渋滞や駐車場の問題。様々な問題がすでにそこにある 。だからこそ、「企業の論理」ではなく「ふあんたじあの論理」で地域にとけ込み、地域社会の一員としてこの事業を進行してもらいた い。と、同時に私たち地域の人々もまた、「ふ あんたじあ」と言う楽しさの心と発想を身に 付けたいものだ 。


 

 私の、またまた別の友人と話をしている時の 事、消防団の役職をもつ彼は、リカキャッスルの 通りの消防ポンプ小屋の出口部分をなおしてもらう話を私にしたのだが、

 

「どうせならポ ンプ小屋もトンガリ屋根でライトパープルに 塗ってなおしてもらい『リカちゃん消防団』 て言う看板かけたら」と私。

「そりゃあいい なあ。言ってみるか」と彼。

 

 当事者である消防班の反応がどうなるか、ちと恐い気がする が、私のまわりには楽しいアイデアにすぐ反応 する「ふあんたじあ人間」がたくさんいて実 に楽しい。