真の「ふるさと創生」のために


OPINION創刊に寄せて

平成4年(1992年)3月20日 OPINION掲載

二瓶 晃一 (執筆当時30歳)

●初めから決まっていた?ふるさと創生事業

 

 広報おのまち3月号を何気なく開いたら、 思わずビックリした。そこには、ふるさと創 生事業の「笑顔とがんばり基金」が「人材育 成に活きている」と大々的に書かれてあり、 平成元年度から実施したその事業内容が ① 新産業パイオニア事業。②県の青年海外派遣 事業「若人の翼」の助成 ③国際交流事業で の外国人社会教員指導員の招聘 という3つ あげられていたのだ。  これらの3つの事業そのものに対しては、 細い問題はあるが私自身はその方法さえ間違 えなければ良い事業であると思う。私は一番 不満なのはこれらの事業が「ふるさと創生」 の事業として行われている点である。実は、 この3つの事業は、「ふるさと創生事業」の 使い道を決定する前から計画されていた又は 実施されていた事業なのである。 

 

●町民はピエロなのか? 

 

①の新産業パイオニア事業は平成元年度 からの事業でスタート時には新農業パイオニ アという名称だったが、その事業内容は特に 次年度からの事業と変わることはなかった。 この事業は平成元年3月に審議をおこなった 小野町振興計画実施計画書に事業としてのっている(平成元年度の事業予算案は893万 円)のだが、この時「ふるさと創生」事業は まだ町民にアイデアを募集した段階だったの である。同様に③の国際交流事業も平成3年3月には実施する事が決まっていたし②の若 人の翼の助成にいたっては年号が昭和から平 成に変わる前から毎年おこなわれていたはず である。

 

 「ふるさと創生」のアイデア募集に対して集 まったアイデアは400余り。原稿用紙何枚 も使って書いたもの、用紙にビッチリ小さい 字で書いてきたもの、一万4千分の400で はあるが、みな熱心に書いたものばかりだっ た。それが、ふるさと創生の事業にすでに決 まっていた事業があてられるとは…私にはど うしてもわりきれない、納得できないものが あった。あの時町民が見た「夢」は何だった んだろうか? 町民はピエロなのか? 憤り を通り越した深い悲しみと無力感が私を包み 込む。 

 

●真の「ふるさと創生」を目指して 

 

 今でも私の友人の中には「いつのまにか決 まってしまったんだね」と言う人がいる。「 いつのまにか決まってしまった」大多数の人 の偽らざる感想だろう。だがこのような多く の「潜在的なふるさと創生の”志士”達」に「な ぜ君はアイデア募集にペンをとらなかたのか ね?」と言い返せるだろうか。意見を出さなかった彼らが悪いと決めつけられるのだろうか。

 

  かつて一般の町民があんなにふるさとづく りを考えたことはなかっただろう。そのアイ デアの善し悪しはともかく、ふるさとを考え 夢を語り、方向を見い出し、そしてそのエネル ギーを集積すること。それがふるさと創生の 本当の意味だったのではないか、そう 私は今思っている。  

 

 現在、この基金の事業を誰が決定し、どの ような予算配分でどのくらいの金が残ってい るのか私にはわからない。だがこれらの事を ふまえて願わくば「ふるさと創生」基金の事 業に対して、みんなで夢を語れるようなシス テムにしてほしいと思っている。 

 

●今、自らの殻を破り、真の先駆者(パイオニア)となれ

 

 私のこの文章を読んで、反論を持つ人や不快 に思う人も多分にいる事だろう。しかし、私 はそれを当たり前と思っているし、何もおそ れてはいない。自らのふるさとを自ら創り出 していく為に、ふるさとを考え、意見を出し 討論していく。ふるさとを創生するという事 は、そういう過程でふるさとに住む人、一人 一人が、自分自身を創生していくという事だ と思う。  この情報紙「OPINION」は、その様 な「ふるさとを考える」という主旨で創られ たと聞いている。今、新しい時代の夜明け前 に私のこの文章が、真の意味の先駆者(パイ オニア)をつくる、そのわずかながらの布石 となることを願ってやまない。