日韓ワールドカップの年に


平成14年(2002年)1月1日 年賀状

二瓶 晃一 (執筆当時39歳)

四年前の六月のある日、私はフランスのナントという町を歩いていた。数日前におこなわれた日本の初めてのワールドカップの試合に、二十倍という高額な金額を支払った私は、何とか第二戦のチケットを確実に、そしてより安く入手するために試合前日に一人でこの街にやってきたのだ。

 列車の乗り方がわからずに、しかたなく蒸し暑いデッキで座りこんでいた事。一緒にデッキにいたアイルランド人に「次は日本が開催国だ」と言うと「嘘だろ」と笑っていた事。喉がかわいて仕方がなかったので、列車中歩き、ビュッフェをやっと探して水を買った事。

ようやく座ると、隣の人が笑顔でビスケットを差し出した事。最終バスがなくなってしまい、パトカーでホテルまでむかった事…

 旅での出来事はトラブルも上質のスパイスとなり、そこで出会う人の優しさを何倍もひきたててくれる。

 今年、私達は「開催国」だ。地方の都市が目論むほどのお客様が欧州・南米から来るとは思わないが、少なくともこの世界最大のお祭りにやって来る人々を、四年前のフランスの人々と同じように迎えいれる「心」を持ちたいと思う。

 

 第十七回蹴球世界選手権・日韓大会の成功を祈りつつ…

 

昨年の12月、敬宮愛子内親王さまが

ご誕生されました。おめでとうございます。

お名前が小町の母親と同じ(読みはめずらご)

という事でニュースで報道されました。

小さな祠ですが…