湯たんぽの宿2


平成11年(1999年)1月1日 年賀状

二瓶 晃一 (執筆当時 36歳)

                                           

   湯たんぽの宿Ⅱ

                                

 私が自分自身で年賀状の原稿を書き始めるようになってから、もう十年くらいになる。   謹賀新年も干支も書いていない年賀状なので私の母親には不評なのだが、毎年、私なりに頭を悩ませながら書いている。この記念すべき(?)年賀状シリーズの第一号が「湯たんぽの宿」というタイトルだった。民俗学者の和田文夫先生という方が、私の旅館に泊まって湯たんぽが出された事に感激して書いてくれた記事を、私が紹介したものだった。以下和田先生の文章を引用してみる。                            

 

  実は、私もあちこちの冬の宿に泊まった事はある。どこでも温かくという事への心配りはしてくれて、寒い思いはしていない。だがここでの湯たんぽには、何か人の心のぬくもりも加わってか、なおのこと温かかった。朝食の時、女将に「湯たんぽは良かった」と言うと「手数はかかかるが湯たんぽが一番のようなので」と言っていた。近頃は、手数を抜いて便利であれば、それが文化的だとの事であるようだが、孤独と心のない行いからは文化は湧くまい。非文化的なと思える湯たんぽの宿には、人の交わりと人の心のぬくもりがあった。

 

 今は、昔からのお客様にしかお出ししていない湯たんぽだが、こうして懐かしく昔の年賀状の原稿を見ると、またみんなにお出ししようかなと思っている。                「湯たんぽの宿」これが私の宿の原点だと思うから。