私のイタリア旅行記2


平成5年(1993年)4月20日 OPINION掲載

二瓶 晃一 (執筆当時31歳)

●私の今回の仲間達

 

 3時間近くも機内に乗ったまま待たされていた間に、隣に座ったご夫婦と話がはずんだ。

 私とほぼ同年代の方で、今回は新婚旅行がわりで来ていると言う。かわりと言うのは実は 昨年結婚したが、まだ新婚旅行をしていなか ったので、との事だった。  ご主人が「このまま夜にならずにミラノに 着くんですかね?」と同意を求めるように私 に聞くのに合わせて「そーですね」などと私は頷く。だが、こんな浅はかな会話を嘲笑うように、窓の外はいつの間にか「夜」になっ た。どうやら地球の自転のスピードと飛行機 のスピードの違いを考えなかったからなのだ が、私達は自分達の「理科」の教養のなさに 大笑いしながら、またまた会話がはずんだ。  

 

 今回の私の仲間達は全部で32人。 サッカーのツアーなので誰か一人くらいは 知った顔がいるだろうと、成田空港の集合場 所で見回していると、まさしく一人、否応な しに目に飛び込んできた人物がいた。彼の格 好と言えば、イタリアのプロチームの帽子( スキー帽の様なもの)をちょこんとかぶり、スタジアム・コートの赤いのをバッサと着て、(しかもその下にはスエットシャツの上下) 履物はサンダル。まるで朝起きたそのままの様なこの「いでたち」は、これから海外旅行にい く人とは誰も想像できないだろう。おそらく この巨大な国際空港にいる数えきれない人の 中でも、こんな格好をしているのは彼只一人に 違いない。

 

 だが、こんな、海外旅行を隣町に 行く様な感覚でいる彼を見ると頼もしくな るし、なぜか楽しい。「海外へ行くって、そ んな大層なこっちゃないよ」彼の姿はまさに、そんな風に言っているように見えた。   

 

 ほとんどが初対面ではあったが、そこは一 つの共通の話題をもつ「仲間」たちだ。すぐ にサッカーの話題で盛り上がる。それでも飛行機の旅の行程を半分以上過ぎてくるとさすがに皆話づかれてきて、思い思いに眠りについた。私は、たいして重くないまぶたを 無理やり閉じていたが、なかなか眠れない。 私が眠っているとも、起きているともつかな いような状態のままいる間、飛行機はしだい にミラノに近付いく。気が付くと、機内では スチュワーデス達が朝食--現地時間では夕食になるが--の準備に追われていた。


 ●日本人とパスポート  

 

 3時間遅れの飛行機は、なんと2時間遅れ でミラノ空港に到着した。「運ちゃん、とば したね!」と、思わず機長に言いたくなって しまったが、1時間も早く飛行機をぶっとば してくるあたりやはりラテン系の「のり」な のだろう。  入国審査と税関を通りまず一段落。日本の パスポートは完全に信用されていて、特にツ アー旅行者ならまったくの素通り状態だ。日 本人は悪い事はされても、悪いことはしない と一般的な常識らしい。それ故に、日本のパ スポートは30万円ほどで売れると言う。だ から泥棒達の狙いは、まず現金かパスポート だ。

  空港を出るとバスでホテルへ。多少疲れた 感じはあったが、日頃の不摂生の賜(?)で 思ったほど時差ボケがなかった事は幸いだっ た。ホテルでは、一足先に来ていたメンバー 達と会った。カルトキング(注※)・Hと、 ベルリン在住の日本代表応援のリーダー・ 19歳のU君などとは久しぶりの再会となっ た。


  ●ミラノの街

 

  スイスと国境を接するロンバルディア州。 その州都・ミラノはファッションの街として 世界中に有名だ。北イタリアにあっては、ベ ネチア・フィレンツェと並んでルネッサンス 期の中心的な都市であった。そんな歴史的重みを感じさせる街でもある。  

 

 ヨーロッパの街並みがみなそうである様に この街も古い石づくりの建物が通りの両側に ならんで、さながら中世の時代へ迷い込んだ な錯覚に陥る。新しく建てられる建物も、ま わりの景観とマッチするような形・色にして あり違和感がない。それどころか、注意して 見ないと最近の建築だとわからない「新しい 建物」もある。おまけに商業用のはでな看板 と言うものが非常に少ないので、慣れないと 道に迷いそうになる。ヨーロッパなどでは、 街の通りに一つ一つ細かく名前がついている が、もしかしたらこのような事情からなのかもしれない。

 

  そういう伝統的な建物の中に商店街もあり、 たいていの場合、4・5階建ての古い石づく りの建物の1階部分が商店となっている。滞 在したホテルから歩いていける小さな商店街 も、有名なスカラ座と大聖堂とを結ぶ1877年完成の「エマヌエーレ2世アーケード」の商 店街も、どんな小さなお店でも入り口のドア の隣はショウウインドウになっていてどこも 奇麗に飾ってある。たとえそれが工具屋さん であってもそうなのだから、ファッションの 街のセンスはすばらしい。

 

 実際の買物をしな くても、街を歩いてだけでどこも楽しくなる 様な通りだ。考えてみれば、家の造りなどを 無理やり変えて「街並」を作るより、それぞ れの店がショウウインドウをつくり、いろい ろなもを飾りつけた方が、街の通りを楽しく する為には効果的かもしれない。

 

  そして何よりも、ミラノは美人が多い。「 それって、ただ単におまえの好みなんじあな いの?」帰ってきてから友人に言われたが、 これはツアーに参加したすべての男女の意見 の一致する所だ。特にイタリアやスペインな どのラテン系の人々はヨーロッパの北の国々 のゲルマン系の人たちとは違って、髪は黒い し背もそんなに高くない。それでいて足は長 いし、鼻も高く、色も白いから日本人の美人 像にピッタリなのかもしれない。逆に日本に 帰ってきて「美人だなあ」と思う様な女性は イタリア人に見えてしまうくらいだ。  

 

 もう一つ、ミラノの街でおもしろいと思っ たのは路面電車だ。市内は路面電車の路線かなり張りめぐらされていて、とても便利だ。窓がとても大きく(と言うより、ほとんど窓 という状態で)まわりがよく見えて、降りる のにも困らない。最近ヨーロッパでは、路面 電車が復活し初めていると何げなく見た本に書いてあった。

 

 自動車社会の発達により、車 に邪魔になる路面電車は多くの都市で廃止の憂き目にあったが、21世紀を見据えたエネ ルギー事情への憂慮から、イギリス・フラン スなどの多くの都市で路面電車が復活して走 ったり、また建設が計画されているそうだ。  

 

 考えてみれば、今世紀は産業革命による技 術革新から、大量生産・大量消費に及んだ時 代だった。特に、アメリカ合衆国においてそ れが最大規模に花開き、世界の国々はこれに近 付く事が「豊かさ」へ向かう事だと信じてい た事があった。

 

 だが資源とエネルギーが無尽 蔵であると言う「夢」から醒め始めた今日、 新しい時代への対応を模索している。アメリカ人が気付かないものを、気付いていても実行できないものをここでは実行に移し始めている。そう言うすごさが、ヨーロッパ にはある。

 

 ミラノのシンボル・大聖堂は、中に入ると一瞬にして、そのスケールに圧倒される。神 の前ではこんなにも人間はちっぽけなのかと 思わせるような、30メートルもの高さの礼 拝堂は所々に直径2メートルもの柱を配し、 その建物のすべてが大理石でできている。  

 

 そして、このすばらしい歴史的ミラノのシ ンボルの後は、いよいよこの旅の最初の目的 である、ミラノの現代のシンボル、サンシー ロサタジアム(ジュゼッペメアッツア・スタジアム)へと向かった。  (つづく)

 

 ※カルトキング フジテレビ系列で放送中の超マニアック(専門的とでも言おうか)な「カルトQ」と言うクイズ番組で優勝した人 の事を言う。私の友人は「サッカー特集」と 「Jリーグ特集」にて2回優勝している。