公演を終えて


平成13年(1995年)2月、OPINION掲載

 「町立白樺高校物語」の公演は終わった。 今回の脚本を書く時は自由に発想が出せて とても楽しかった。だが、その時点で物語は 「文字」でしかない。その二次元の物語に命を 吹き込んでいく作業は、時としてつらく、時として苦しく、そしてまた、その何倍も楽しい。この物語に携わった人、一人一人がイメ ージをめぐらせ表現し、少しづつ、少しづつ、形になっていく様は、何とも言いがたい輝きを もっている。そしてそれは、決して自分達だけの感動ではなく、公演当日には、何百人も の人達との、共有のときめきとなって会場に 満ちあふれる。

 全員が素人であり、技術的に 見れば、これが本当の意味で演劇とは言えないのかもしれないが、それでも公演は私達のイメージの100%に近い形で終了した。  

 だがその時、喜びでいっぱいなはずの私の心に、忘物を探している、もう一人の 自分がいた。去年は、あんなに「はじけた」 はずが、今年は何か風が吹き抜けていく…そんな思いを私はしていたのだ。

 「本当の町立高校生達に観てもらいたかっ た…」心の中の私は、そうつぶやいていた。 町立産高のOBの皆さんにダイレクトメール を出そうかと、いう考えもあったが、ついにそ れは実現できなかった。何の効力があるわけ ではないが、この公演を記念して、町立高校 のOBの方に卒業証書を贈ろうかと言う考えもあった。そして、それもまた実現はしなかった。「それは、それで良かったんじゃあないか」同じく心の中に風穴があき、ボーっ と抜け殻の様な顔になった友人が、公演の次の日に私を訪ねて来てこう言った。「うちの近所にも 産高出身の人がいるんだけど、それは、その人にとって、触れてもらいたくない部分みたいだよ

 多くの町立高校出身の人がそういう 感情をもっているのは、想像にかたくない。 だが、だからこそ、それだからこそこの物語を見てほしかった。そういうわだかまりから脱して本当の「卒業」をしてほしかったのだ。


●今、心の鎖を解き放ち

 

 町立白樺高校物語は産高をモデルに、地元にある高校、「小野高」の事もだぶらせて書 いた事は前に述べた。この二つの地元の高校の出身者は、この町にかなりの数がいると思 う。そして、その中の少なくない割合の人達 が友人の言う様にコンプレクッスを持っているのかもしれない。そんな鎖を心に巻きつけ 今まで過ごしてきたとしたら、それは不幸な事だ。そしてその鎖が、知らず知らずのうちに人々の感性や発想をしばっているのだと思う。

 「小野高の出身で、どのぐれー苦労したもんだが。俺は絶対、息子を小野高には入れねーつもりだ」そんな言葉を聞くたびに、物語の主人公の様に叫んでしまう「違う!…違 う!…」と。 俺は町立高校の出身だから… 俺は小野高の出身だから…」はやがて、「どうせ小野町出身だから…田舎にいるのだから…田舎出身だから…」の発想につながっていく。地域を愛する、まちを愛する気持ちは、 心の鎖を解き放つ事から始めなければならない。鎖にしばられない心をもつ時、感性がさ まざまな方向にむかって動き出し、その一人 一人の感性がまちにダイナミックな躍動を与 える様な気がする。

 演劇に限らず、ものを創り出すには、技術 と感性とハート(心)が必要だ。技術は多くの場合、都会にある。多くの人が競争し、切磋琢磨していく中に次々と新しく、すばらしい技術が生まれてくる。しかし、感性とハートは田舎にある。 一見、都会にある様に見えるのは、多くの人が田舎からそれを持ち込むからだ。試行錯誤の中から、いろいろな可能性の中から、感性とそしてハートの泉を探りあてる作業、それが、「まちをつくる」と言う事なのだと思う。 そして、それは、それこそが、私がこの「町立白樺高校物語」にのせたメッセージでもあるのだ。

 

 

町立白樺高校物語  原作者 二瓶 晃一